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マザー・ハウス「障がい児の家」ボランティア2日目の午後。
実はこの日、たまたまマザーハウスで、ボランティアデーという年に数回のイベントが行われていたので、参加してきました!
誰に聞いても、「まぁ、お祈りしたり・・・」とか曖昧な答えが返ってきたので、さほど期待しないままですがね・・・(失礼)
午後2時半、マザーのお墓の前に集合。
館内は撮影禁止ですが、ここは写真が許されているようです。
シスターが英語で、マザーテレサについてや今日のことについて、色々教えてくれていたのですが、あれ・・・
リスニングきついのう・・・(´Д`;)
どうやら今日はマザー縁の地を歩いて回るそうです。ほうほう。
って、得た情報量少な(笑)
まだまだ、英語もがんばらねば!
マザーがコルカタに来て初めて歩いた道を、みんなで歩いていきます。
マザーハウスの目の前の大きな通りです。
参加者数は50人以上はいたでしょうか。かなりの大所帯!
サダルストリートで会ったマレーシア女子と再会を果たし、二人で話しながら歩いてました。
(この話はまだ記事にしてない2日間に関係ある内容です。)
「っていうか、あのあと大丈夫だった?」
「あーラージと?大丈夫大丈夫!」
「もう一人のインド人いたじゃん?あいつまだmisakiのこと探してたよ!」
「まじで!?超しつこいな・・・」
「わざわざわたしを捕まえて『misakiどこ泊まってるか知ってる?』って!」
「こわいんですけど。。」
「本当に知らなかったしなにも言わなかったけど気をつけて!」
「うん、ありがとうー!」
「hey misaki!さっきシスターなんて言ってるか分かった?」
と、今度はイギリス人元高校教師ダニエル!
「いやーあんま分からなかったわ!」
「だと思った笑。分かってなさそうな人多かったもんなー!」」
「いいよねーダニエルは。インド旅してても危険じゃなさそうだしなー」
「え?なになに何の話?」
「日本人はインド人から狙われまくりなんですよ。騙すために。」
「え!?そーなの!?FUCK YOUって言えばいいだけじゃん。笑」
「それが君たちとわたしたちの違いなんですよ。だから狙われるの。」
「ヘイマイフレンド~!って話しかけられたら、お前俺のフレンドじゃねーわどっかいけっつって終わりだぜ」
「インド人、全然信じてないの?」
「信じるわけねーじゃん!信じれるやつなんて、世界中でも数人だわ!」
彼、今日も変わらずはっきりしてる(笑)
「・・・ねぇ、アメリカ人の友達いる?」
「アメリカ?いや、いないね。なんで?」
「いや、あー、もしかしたら気分悪くなるかもしれないけど・・・」
「なになに?」
「ミャンマーで一人アメリカ人の友達出来てさ。そっくりなんだよね!」
「まじで?どんなところが?見た目?」
「いや、あなたすごい強い意志持ってるでしょ」
「あ、持ってるね。」
「そんでYESとNOもすっごくはっきりしてる!」
「でも、そいつよりハンサムだろ?」
「あっはは、そういうことにしておこうかねーー」
壁にタバコに火をつけるやつがあった!!!
この縄に火がじりじりしてて、ライター代わりになるらしい。
結構、色んなところで見かけます。
ST. TERESA’S CHURCH とその学校。
一人の女の子が、ずっとわたしたちに着いてきていました。
わたしよりもやっぱり欧米人に話しかけてた。
「ビスケット一枚でいいからちょうだい」って。
小さい男の子を抱えていて、男の子の足は怪我していました。
やけどかなんなのかわからなかったけど、見た目がかなり痛々しい感じ。
フランス男性が小銭をあげていました。
スペイン男性は、「足の怪我はひどいから、病院に行きなさい」って女の子を説得していました。
彼女は困惑してる表情でした。
だって、男の子の足の裏はちゃんと汚れてた。
彼が普段一人で歩いている証拠。
もしかしたら、この怪我もわざとかもしれない。
お金をもらうために怪我を見せてる女の子と、怪我を直すために病院へ行きなさいっていうわたしたち。
やっぱりこういうのを見ちゃうと、住んでる世界は違うって思わされる。
そして、わたしはそれをただただ観察しているだけだったのです。
マザーテレサの住んでいた家です。
本当にぼろぼろの建物で、ちっとも立派なところではないです。
ここでマザーのエピソードをシスターから聞き、お祈りをしました。
みんな何も見ずにお経のようなもの?が言えてるけど、国籍もバラバラなのに・・・カトリックすごいな。
こういうとき、何をしていいのか分かりません。
マザーテレサの立てた学校。
スラムに住んでいたり、貧しくて学校に行けないような人を、ここで無料で勉強する機会を与えていたんだって。
寮制だから、生活も保障される。
貧しい人からはお金をもらわず、お金持ちからお金をたくさんもらう、っていうシステムが成り立つ不思議。
実際に子どもが習いにきてました。
いや、すごいな。どこにでもマザー。
コルカタだけじゃなくて、インドだけじゃなくて、世界中にマザーの立てた施設や学校がある。
賛否両論あるみたいだけど、1から始まって、実際にこれだけの影響を与え、そしてそれがマザーが亡くなった今でも影響を与え、こうして多くの人が動いてるという事実。
この事実がすごい。
その隣にある教会です。
ここで、一時間半くらいミサをしました。
わりと大きな教会で、気持よかったー。
初海外の時は今ほどお金がなかったので、無料の教会でこうしてぼーっと日記をつけていました。
外に出れば「はわわわ海外いい!」みたいな状態だったので、ゆったりできる唯一の落ち着く場所だったんですねー。
だからなのか、ミサはあまり得意でないわたしも、こうして教会の中にいると、不思議と心が落ち着いてきます。
教会マジック!!!
しかもここ、蛍がいるんですよー。
暗くなってからの帰り道の庭にたくさん飛んでいて、とてもとても綺麗でした。
こんなに空気が汚れているコルカタなのに・・・
野生の蛍を見たのは人生で2、3回目かなぁ。
そのあと、スラム街を通って、最後の地に向かいました。
い、インドのスラム街・・・
団体が来たから「なんだなんだ」と寄ってきて、サイドにずら~~~っと並び、好奇の目で見てくるスラムの人たち。
みんながみんな注目し、そして時に「ハーイ」って声をかけてくる。
この今までまったく見たことのない世界を見て、妙に興奮したのと同時に、瞬間的に思いました。
う、こわい・・・!!!
ミャンマーでバイクがパンクした時に寄ったところも、スラムだったと思うんですよ。
でも、全く、本当に、全然!雰囲気も色も違う!!!
彼ら笑ってるんです。フレンドリーに話しかけてくるんです。
でも、この夜の独特の熱気と色に押されて・・・
この街が、この場所が、スラム街がどんなものか知りません。
うまく言えないけど、奥になにかありそうな感じというか・・・
でも恐くてぜんっぜん見れなかった。。
あのとき一緒にいたアメリカ男性シェーンは、インドのスラムへ個人的に行ったって言ってました。
「一人は危険だと思うけど、あの世界は見た方がいいよ」
マザー・テレサは女1人でここへ通って、人々を救済していたのですね。
その一角の建物で最後のお話で聞いてから、みんなでご飯をいただきました。やきそばみたいなやつ。
このスラム街はSealdah(シールダ駅)の近くで、今もこのスラム街で施設に入れる人を探したり、援助したりしてるみたいです。
ここは穏やかな空気だけがあるのに、外は異様な熱気。
違いが激しすぎて、ちょっと気持ちが悪い。
また、あそこを抜けて帰るのか・・・・
現地人と仲良くなって一緒に遊ぶのが、今までの作戦。
ひとりでいた方が出会いがいっぱいあるし、現地人と遊べばその国のリアルを知れるはず。
そこで旅仲間と出会ったら一緒に旅をすればいい。
ひとりでは見れない景色や気付けない景色を見せてもらえるし、その人たちから学ぶこともたくさんある。
だから、今までは出会い次第で旅をしていたのですが・・・
ひとりでは、これ以上インド旅は出来ないかも。
だって・・・
インドにびびりまくってるから!こわい!スラム見てさらに怖くなった!自分会議の結果、インド人信用しない方向!現地トニーとか夢のまた夢ーー!!!(((((( ;゚Д゚)))))
ただ今のこのびびり具合とひより具合、初海外の時と同じくらいです・・・
ビビリ旅人復活だよ〜〜(´Д`;)
★1ルピー=1.6円
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