トゥクトゥクでトゥールスレン虐殺博物館へ

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トゥール・スレン虐殺博物館とキリングフィールド。

今回の世界一周でカンボジアに来た理由は、それだけです。

 

アンコールワットを期待してたみなさま、ごめんなさい!

シェムリアップは、今回はとばします!!!

でも、シェムリは超!!!よかった!!!ので、いつか時間のある時に、シェムリのまとめ記事を・・・

うーん、時間のある時っていつだろう(笑)

 

宿をでたら、案の定すぐトゥクトゥクドライバーにつかまりました。

お、英語を話す若いおにーさん。

 

「おはようー!」

「おはようー!どこ行くの今日~?」

「キリングフィールドと博物館だよー。この2つでいくらで回れる?」

「うーん・・・ひとり?」

「うん、ひとり。」

「15$かなぁ。」

「はは、8$で回った人いるって聞いたよ~!」

「8!!!きついよ、それはー!んー・・・10$!!!」

「8!!!」

「10!!!」

「8!!!」

「・・・9!!!」

「えーまじでだめ?8?」

「9で!おねがい!!!」

「ちぇ、まーいいか!ではお願いします!(*゚∀゚)=3」

 

9$で、キリングフィールドと博物館を回ってもらいます!

本日のドライバーさんは27歳のアルン!!!

 

「まって、その前に朝ご飯・・・あ!あとバス停によってもいい?」

「いいよ~連れてくよ~♪ なに、どこに行くの?」

「明日次の国へ行こうと思ってて。バス停で買えると思うんだけど。」

「バス停?この辺の?」

「うん、あのーシティーセンター?の近く?」

「???どこそれ???」

「えーわかんないけど(笑)」

「あー俺チケット買えるところ知ってる!そこ行ってみよう!」

 

と話しながら歩いて、適当なカスタードケーキ(1,500リエル/約40円)を購入。

 

「おれも朝ごはんたべたい・・・」

「自分で買いなさいよ!」

「えー!買ってよこれー!」

「あー・・・まぁいいかおっちゃん2つちょうだい~」

「ありがとー!!!あと水を・・・」

「それは本当に自分で買って!!!笑」

 

まずは、バスチケットの買えるところに連れて行ってもらったんですが、連れてこられたのは旅行代理店。

 

「いや、こーいうところじゃないんだけどなー。」

「え、そうなの?」

「ターミナルだよ!ターミナル!・・・まぁいいや、チケットいくら?」

「33$ねー。」

「ほらやっぱり高いー!ネットの情報だと25$らしいから・・・」

「今予約しないと明日行けないわよー」

「えー。でも33は・・・あとでwifiでターミナルの場所調べるよ!」

「そう?じゃあ博物館からいく?」

「そうしましょう~。連れて行ってくれてありがとうね!」

 

トゥール・スレン虐殺博物館
7:00~17:30 Street 113, Boeng Keng Kang, Phnom Penh 3, Cambodia 2$

1975年から1979年まで続いたポルポト政権で、政治犯の収容所として使用されていた場所。20,000人以上の人々が収容されていて、ここで拷問を受けたのち、キリングフィールドに運ばれ処刑された。生きて出れたのはわずか8人のみ。一度収容された者は、決して生きて帰ってくることは出来ない監獄だった。

 

尋問中の規則(wikipediaより)

1.質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
2.何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
3.革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
4.質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
5.自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
6.電流を受けている間は一切叫ばないこと。
7.何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
8.自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
9.これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電流を与える。
10.これらの規則を破った場合には10回の電流か5回の電気ショックを与える。

 

この収容所は、もと高校です。

そして、ここの所長は元高校の数学教師。彼は2012年2月、最高刑の終身刑判決を受けました。

2012年って・・・去年だ。

 

教室だったはずの部屋。

そこには、ところどころ染み付いた床。鉄製のベット。尋問用の道具。

そして、当時のままを残す写真が展示されていました。

 

ベトナム軍が攻め込んで、ポルポト政権が終わった1979年。

それまで、このカンボジア全土で行われていたことは、ずっと隠れたままでした。

他の国の人は、知りませんでした。

 

私はまだ生まれていないけど、まもなく私は生まれました。

確実に、私の親は生きていた時のこと。

 

そこに踏み込んだベトナム軍が気付いたものは、異様な激臭。

見つけたものは、手足をベットに括り付けて無惨にも息絶えていた人々。

 

ポルポトは、国内から知識人を根絶することを目指しました。

政治犯を収容するこの施設に、たくさんの「知識人」が送り込まれてきました。

 

医師、教師、技術者、学者などの知識人。

外国語を話せるから知識人。

学校に行ってるから知識人。

文字が読めるから知識人。

海外に行ったことがあるから知識人。

眼鏡をかけているから知識人。

美形だから知識人・・・・

 

三十数年前、国民の3分の1が、同じ国民の手によって殺されたんです。

 

そのころと同じままを残そうとしている、この博物館には・・・

 

確実に「今」の時間が流れていました。

 

これらをぼーっと見つめながら、思い出していました。

シェムリアップのキリングフィールドに行った時のことを。

 

あそこのキリングフィールドはとても小さなもので、塔の中にあるたくさんの頭蓋骨を見ても、それが本物だなんて一切思えなくて・・・

そして最近あったことだと、感じることも出来なくて。

 

それのリベンジをしにきたんだけれども。

どうしよう、

 

やっぱりうまく感じ取ることができてない。

 

元収容所からキリングフィールドに行くまでの道。

わからないけれど、ここは同じ道じゃないかもしれないけれど、殺されに行く道だったかもしれない。

 

でも、痛いくらいの日差しの中で走るこの道は、一切そんなことを感じさせてくれなくて。

とてもおだやかで、美しくて、のどかで、無意識に「ああこの道好きだな」って思ってしまった自分に気付いて、あわてて消しました。

 

なにかを感じて自分のものにするのは、少しでも実感がないと、ああいまこう感じたなって知らないと、とても難しいことです。

やっぱり私はかなり遠い世界にいる。

 

次は、キリング・フィールド。

トゥクトゥクの中で、やっぱり怖いって自分を守っていました。

 

でも、見る。

そのためにここにきたんだから。

鈍い私が、文字や写真とは違う、空気で感じにきたんだから。

 

自分がどう感じても、それをここに残します。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

 

★1ドル=4000リエル=100円

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